私は以前、妃についての説明で、「王の妻であることを成し遂げた」といったふうな文章を書いたのですが、“成し遂げた”という表現は、王の性質を理解し、望むものを与えた、という意味で使いました。妃は恋愛をしないひとで、他者への性欲もなく(由璋のような嫌悪由来のものではなくて、単にしたいと思わない)、名叢は子孫を残すことを重要視されない為、それに対して悩むこともなく生きていました。しかし、夫となったひとは超恋愛体質で肉体的な触れ合いを拠り所にしている…。由璋が死んだ時、王を立ち直らせたのは妃のぬくもりです。王は彼女を菩薩のように思い、妻として大切にするようになりました。妃の性質を理解し、尊重した。王も“成し遂げた”と言えます。
だからふたりは、生涯で数えられるほどしかセックスをしていないと思うんですけど、とても良い関係だったと思います。冒頭で書いた手を繋いだり〜は、王の諦め切れない部分を妃が快く受け入れた形ですね。
王妃夫婦を好きと言っていただけて嬉しいです。この質問の答えに関しては、実はずっと言及しようとしていたことだったのですが、妙な緊張があって書けずにいました。きっかけをくださりありがとうございます!
由璋は春が好きだったと思います。
彼の冬には良い思い出がありません。由璋は冬生まれなのですが…。由璋と王が出逢ったのは春です。由璋が死んだのも春でした。巡る季節の同じ景色をふたりで見ることは叶いませんでしたが、一度きりの春は、由璋にとっても、残された王にとっても、刻が止まったような幸福であったかも知れません。
彼の冬には良い思い出がありません。由璋は冬生まれなのですが…。由璋と王が出逢ったのは春です。由璋が死んだのも春でした。巡る季節の同じ景色をふたりで見ることは叶いませんでしたが、一度きりの春は、由璋にとっても、残された王にとっても、刻が止まったような幸福であったかも知れません。
由璋のライフスタイルの上での始まりは立春で、終わりは立冬です。しかし、彼の「人生」と捉えた時には、始まり(王との出逢い)も終わり(王との別れ)も春だなぁ…などと考え込んでしまいました。