Twilog 由璋編(1)

由璋と兄は年子で、先帝(父親)が殺された時、序列的に兄の即位が決まっていたにも関わらず、由璋が優秀な子供であったことが災いし、兄に殺されかけ、数年間幽閉される事となる。

兄が病死して由璋が皇帝になった時、その権限で彼が一番最初に行ったのが「兄を操っていた乳母の処刑」だった。由璋は、兄の許で働いた家臣は、優秀な者から順番に殺していった。自分の力になってくれるとは思わなかった。賢い者ほど必ず裏切る、と。

才覚のあった由璋も、牢から出る頃には正常とは言い難い精神になっていたのである。彼のこういう面を王は知らない。

知っていたとして何もないんだけどな…。王者と覇者(2)で王は、「己だけを殺せなかった由璋は美しい」と言ってる。

 

 

由璋は酔うと顔が赤くなる+寒くなる。素面の時よりちょっと素直かも?王は酔っても顔色は変わらないが、笑わない&不穏になる。

 

 

由璋は30歳で死んだ。王を手に入れることも、殺すこともできなかった。彼に狂気的な愛だけを遺した。

 

 

肩に蝶がとまれば「お前の美しさは蝶々と言うより蜻蜓(ヤンマ)かな」と笑って、カゲロウがとまれば「なぜそんな短命なものになるんだよ…またすぐお別れじゃないか」と泣いて、小さな命にいちいち由璋の面影を探してしまう王。

 

 

「熱が失われる」って、王の経験なんだろうな〜と思った。王は自分を好きな人が好きで、向けられた好意が強ければ強いほど抗えない。そうしていつしか自分のほうが相手を好きになってしまう。彼がしてきた恋愛はこのパターンが多いのだろう。自分のほうが応えられなかった愛って初めてだったのかも知れない。だから王の中で由璋への想いは終わらないんだと思う。

 

 

由璋は最後に王を刺したが殺せず、お前なんかもういらない、二度と会わないとまで言ったのに、王に「好きだ」って言われたら「僕もだ」と返してしまったほど王が大好きだった。そして自分の屍を彼に見せる事で完結させる。王が一生酔えるほどの愛し方だった。

 

 

由璋の装飾品は金と玉(ぎょく)で、細工が美しい。王は黄銅・木・琥珀・瑪瑙。大きさが不揃いで歪であったり、それほど精巧なつくりではない。

 

 

由璋の手は気持ち中性的に描いてます。王と由璋は体の厚みに差を出すようにしていて、王は首の後ろに肉感が出るように、由璋は逆にストンと落とすようなラインを意識して描いてます。

 

 

由璋って、初めて見た王が「服を着ている」「真面目な顔で真面目な話をしている」状態で、命の恩人だし、謂わば一番カッコイイ王を最初に見てしまった。“この世の光景じゃない”とまで思った姿を瞼に焼き付けながら再会を待ち望んでいて、やっと会えた時は半裸、紅衣をプレゼントしたら鉄雄スタイル。

王の故郷は亜熱帯気候だけど、由璋が住む都は四季がハッキリしていて秋冬は寒いから、王は由璋に会いに行く時は服着てることも多い。(最初に城の人達に服を着ろって散々言われたのもある。)

 

 

由璋は歴史上「暗愚」と語られる部類の王(おう)。育った境遇や即位のタイミングを考えると哀れだけど、言動は攻撃的で誰にも心を開かず、心の奥底でずっと恐怖に囚われていた人。家臣にとっちゃ、命捨ててまで義理立てするような相手じゃないのは明白。王が好きになったのはそういう人間だった。

私こういう…「嫌われ者」がたったひとりだけを愛して、愛されたほうも周りに「やめとけ」「どこが良いの」って言われながらも「自分だけには優しい」と絆され依存し合う恋が…そしてそれはいつか引き裂かれてしまうのが…好きだ。

 

 

王が夜来た時に部屋に由璋が居たら、ふたりで寝酒してちょっとだけ一緒に寝て、由璋の起床時間(4時)になる前に「じゃあまたな」って王は帰る。由璋が居なかった場合、王はお土産を置いて帰る。お土産は、山で採った果物や桂花烏龍の茶葉だったり、「来たぞ」ってテーブルに書いたり(怒られる)。どちらかが先に寝てる(王は帰らないで勝手に寝てるパターンもある)横に入って添い寝だけして、由璋が上手く眠れていたら王は起こさないように帰ったり…という、会話のない日もあったと思う。由璋が忙しくてもそんな感じに連んでたのが、彼の死の3ヶ月くらい前から徐々に逢えなくなっていった。

 

 

妃の力は外傷を治すのに使えるのだが、「治る頃合いまで肉体の時間を進める」という理屈なので、治る見込みのない者には逆効果であるし、施された方は治っても寿命がちょっと縮む事になる。彼女が死神と呼ばれたのはこのせい。花を咲かせたり、発芽を早めたり、喜ばれることもあった。

 

 

王に対する由璋の激情って、自分に先がないと予感してる者が持つ炎だと思うんだ。その時に出逢ったからこそ、王は溶け残らずに燃え尽きていく命に立ち合い、その熱に捲き込まれて生きることができた。幸福ばかりではなくとも。

 

 

「好きだ」と言われたら、どんなしがらみがあろうと、一言目で「己も」「僕も」と返さずにはいられない関係なんだよ、こいつらは。

由璋は王が背負った抗えないさだめの重さを知らなくて、だからあんなに自分勝手に王を愛したし、王がなぜいつも手指にキスをしてきたのか、その意味も考え及ばないだろう。由璋は王のことをあまり解ろうとはしていなかった。王はもっと解ってやれた筈だと苦しんだ。残された方はそうなるね…

 

 

この出逢いであっても、由璋の額に傷はできるし、幽閉生活も経験するし、滅亡に向かう王朝を背負わなければならないのは変わらない。でも、たくさんの人や家族を殺したり、最後に王すらも信じ切れなくなることは、なかったのかも知れない。(でもそれは、王と紅衣の長い旅は始まらないということだ。)

 

 

由璋っていい匂いしそうだなと思ってるんだけど、イメージだと医珀香かな(寝室で焚いてるんか)。あと小さい頃から五香丸飲まされて育ってそう。私の「お坊ちゃん=いい匂い」というイメージがよくわかる妄想だ…。皇帝をお坊ちゃんと言うのはだいぶ語弊があるけど、王がそう思ってそうだから。

五香丸は何かいい匂いする植物由来の粉末やら何やらを蜂蜜で練った丸薬ね。

 

 

由璋、一度は王の家に行ったことあるだろうなと思って。

「お前の家、屋根があるだけでほとんど森じゃないか!虫いすぎだぞ!ぅおいっ獣入ってきてるぞ!」「王、僕の部屋に行こう!」

「え〜…」

「くつろげないっ!」

 

 

由璋の死は王のせいじゃないってこと王に教えてあげたいし、王がずっとずっと由璋のこと忘れられなくて、最後の最後に力を捨てて由璋の為だけに在ることを選んだってことも、由璋に教えてあげたいんだよ。本当は。

 

 

「魂が絡み合い、それなのにスルッと抜けてしまうから、思わず掴んで縋り付いてしまう」というご感想頂いたんだ…王と由璋。無性に切なくてずっと頭から離れなくて、書きとめておきたかった美しい言葉。

 

 

由璋の記憶は、王から少しずつ薄れていったのではなく、突然、完全に損なわれた。

紅衣の意思が拓いたのは「人生一期の王が死んだ瞬間」で、この時赤子に戻された王は、一旦全ての記憶を失っている。

王の記憶システムは睡眠学習で、紅衣が覚醒している時に王が眠ることによって、過去の記憶を少しずつ取り戻す事ができる(だから昼寝をする)。しかしその記憶からは、由璋との思い出だけが抜け落ちている。これは他ならぬ紅衣自信が、「由璋のことを思い出されたら、この旅を終わらせるヒントになってしまう恐れがあるから都合が悪い」として排除したから。

悲しいかな、最期に忘れないで欲しいと願った本人が、思い出せないよう仕組んだ。

 

紅衣は、自分が由璋であったことなど今はもうわからず、王を愛し生かし続けることだけを目的に存在している。そんな紅衣に王はずっと、「お前が誰なのか教えてくれよ」と問いながら生きてきた。

例えば、人生一期の王が紅衣を燃やすなりして捨ててしまっていたら、こんな輪廻が起こることはなかった。でもそんなことはあり得ないんだよな。紅衣は由璋が王に遺した数少ない形見で、王にとっては宝だったんだから。

 

 

由璋は幼少期から不眠に悩む。昼間に数十分仮眠する。父親が毒殺されている為、食事に対し恐怖心があり、部屋でひとり軽食するのが安らぎだった。徳州扒鶏は好物。心を許した相手にしか性欲を抱けず子作りに苦心した為、性的能力に自信がなく、セックスに嫌悪があった。

 

 

王(人生一期)は夜遊びが好き。平均的に4〜5時間は眠る。食欲は並にあり、山に自生する果実・種実が好き。恋愛体質で、愛し合うひとと触れ合う事が最上の喜びなため、その相手に対しての性欲はけっこう露骨。その一方、寂しさが募ると誰とでも寝てしまう時もある。

 

 

長い人生の真ん中に、そのほんのわずかしか分け合えなかった人との輝きを据えて、その人のいない年月をずっと生きていくって、ものすごくなんか…切なくて熱い。

 

 

傍に居てくれるだけで良いと、願った瞬間がいくつもあったはず。それを少しずつ縫い合わせて恒久に変えられるまでには、時間が足りなかった。ふたりは四季が一巡りもせぬ間(ま)に、出逢い、別れた。

 

 

王にとって名叢の能力は最も不可侵な領域にあって、由璋がそれを手に入れること(を王が了承するという言質)に固執したのは、やはりそこまでしてくれないと信じ切れなかったのだろう。皇帝として追い詰められるほどに、猜疑心が王にも向いてしまった。悲しいな。

 

 

悪戯に長い人生のどの記憶より、あの一時こそが激しく瞬く。まだ終わらない旅路に、お前を連れて行けないなんてな。

 

 

(王者と覇者(3)について)

由璋の死に顔は、どうやって死んだかという状況を事細かに設定した上でああなった。

口から血が出てるのは、落下の衝撃で舌を噛み切ったから。彼の骸を木から降ろし、飛び出していた千切れかかった舌を口の中に戻してあげたのは、百華だった。人間に嫌疑をかけられる事を危惧して、「遺体は降ろすべきではなかった」と百華に言った銀果は、同胞達を危険に晒したくなかった。百華はただただ、せめて王の中に残る由璋の記憶を、出来るだけ美しいままに保ってあげたかった。

 

王が由璋と最後に会ってから2週間くらいであの結末を迎えている。由璋は最期の地として正山を選んだのに、王には逢わないまま死んだ。間近で自死した彼の心境を、王は「己を恨んでいた」と思うことで、自らの傷を舐めて過ごす。

 

由璋は自分の命とその血縁を断つことで(自ら王朝を滅ぼし)次の時代に全てを明け渡した。絶望を以って、皇帝として潰えていくシナリオしか見えていなかった。だから王には逢えなかった。

王を育んだ霊峰を死に場所に選んだのは、「由璋」としての唯一の我儘だったと思う。

由璋の(ふたりの娘のうち)末の娘は、死に切れず極秘裏に生きていたんだけどね……。

 

銀果が言っていた「王が作った路」というのは、正山と都の城を繋ぐワームホールのようなもの。正山の槐(エンジュ)から接ぎ木された同じ樹が、何の因果か、城内に生えていた。名叢はそういった関係性の樹を媒介して移動することができるが、由璋は最後にそれをひとりで使うことができた。槐の花言葉は「幸福」。「延寿」という字が当てられる事から縁起物であり、魔除けの樹でもある。

 

 

王の見た目年齢は20代後半。由璋は30歳。感覚としては同世代のイメージだけど、王はこの時点で(人間の暦の上では)70年生きてる。名叢は、人間やそれに近い同種族に比べて細胞の生育がとても遅い。

 

 

王と由璋の体格差、アタリのシルエット有りだとわかりやすい。身長はほぼ同じなんだけど。山で生きてる野生児と都会のお坊ちゃんという違いをね…。

 

 

王にとって由璋は「人間」で、由璋にとっても王は「人の形をした美しい生き物、多分男」くらいの認識。私自身あまり「男×男」って強く意識して描いてない。

 

 

妃は、王のように他人に心を奪われ、その温もりがないと寂しくてたまらないような生き方は、質(たち)じゃない。巡り合わせで夫となった王を、愛そうと決め、偽りなく成し遂げた人。王はそれをわかっていたから、尊敬し、彼女のライフスタイルを尊重した。妃は王に、他では得られぬ価値観を与えた。

 

 

王は由璋が紡ぐ言葉が好きだった。尊大だが情熱的で、由璋自身がその火を制御できずにいるような力強さを持っていた。ロマンチストにはたまらないものがあった。山霊の主である王に対してそんな台詞を吐けるのは、彼が皇帝だったからに他ならない。

 

 

このシーン、王が由璋のことを好きになった瞬間。

王は求愛だと勘違いして胸キュンしてしまうが、後にお互いの求めるものが噛み合ってない事がわかる。それでも由璋のことを知れば知る程、叶えてあげられない願いとわかっていながら、放っておく事ができなかった。

 

私の中では、王と由璋って「親友」なんだ。

地位も影響力もある人間が、血縁でもない特に自分にとって有益な身分でもない、信頼の絆だけがある者を、自分のテリトリーに招き入れてその力に頼るっての、好きなんだよなぁ…。由璋にとっての王は、ちょっとそんな立ち位置もある。

 

 

王の「養洗」は、生きている者、且つ死相の出ている者、そして死期迫る原因が外傷でない者、を一度だけ死の淵から救い出せる能力。だから由璋は、王と出逢っていなかったら病死していた。自分が由璋に不要な苦しみを与えたのではないかと、後に王は苦悩した。

 

 

由璋の右手の指輪は、上からはめたものではなく、指に半月の輪をふたつ回して溶接したもの。関節を通らず、外すことができない。これは親指から順に「仁・義・礼・智・信(五常の徳)」を意味し、即位したその日から、由璋に逃れられない運命を教える枷だった。

 

 

恋なんてひとりよがりで、誰かを好きになる理由やキスをする場所の意味に崇高さなんて存在しなくて、それでもそんな些細な一瞬に自分の人生を明け渡し、狂わせてゆく。王はもうそういう生き方はできない。

 

 

王は好きになっちゃうと性愛に直結タイプなんだけど、由璋は精神的に如何に依存し合ってるかを確認しては満たされるタイプ。別の世界の王者である王に「お前のものになるよ」という重い一言を返させること“だけ”が、由璋にとっての「王を手に入れる」ということだった。しかし王は、嘘はつけなかった。

こいつらベクトルが違うので、由璋は「愛を証明しろ」と王に迫った時に、抱き締められたり、言葉少なに手を握られてキスされたりすると、ちょっと意味わからない…ってなる。結局どんな施しも証明になりはしないけと、「一緒に死のうか」とか、言われたかったと思う。3期の王ならそういう嘘言いそう。

 

 

由璋が「僕」という一人称を使うのはプライベートの時だけで、王の前でしか言いません。

 

 

由璋が生きていた時代、王ら「名叢」と呼ばれる能力者の多くは山深くに暮らし、都で暮らす由璋のような人間にはあまり知られていない存在だった。

まりろんも部類は人ならざる者だけど、性質的に人に近く、人と共に暮らしている。名叢はもはや古の伝説でしかない。王は今でもその力を使える。

 

 

「由璋」という名前は彼の諱(いみな)です。皇帝としての字(あざな)が別にあり、本来無礼とされる諱で彼を呼ぶ者は王ただひとりだった。由璋がそれを望んだから。

 

 

由璋がなりたかった取るに足りない命って、琥珀の中に眠る名もない虫のようなものだろうな。

 

 

由璋としてはちょっとからかう意味と言うか、王が狼狽る顔が見たいって気持ちもあるのに、「裸見せろ」「(ニコ)いいよ」「触らせろ」「(ニコ)どうぞ」という展開にしかならなくて、毎回「お前は本当にろくでもない!!」って逆に由璋が焦るパターンがお決まり。

 

 

王と由璋、肉体的距離が近いけど、致してない。その手前まではしてると言うか…。裸の見せ合いっことか、じゃれあいとか、稚いものを。由璋が生涯で性欲を体感したのは王に対してだけだったので、子作りは大変だったし、由璋にとって軽くトラウマである。ほんとうに王のことしか信じていなかった人。

 

 

由璋は唯々、王という素晴らしい生命を賛美し、それに比べたら自分が奪った者達の命など、束になっても取るに足りないと叫んだ。この人生で価値のあるものは王だけだった。今度は違う形の、自分も取るに足りない命となって、王の傍にいたいとも願った。そして何より、僕のことを忘れないで欲しい、と。

 

 

由璋の前の皇帝だった彼の兄が悪政を敷いていた為、由璋が即位した時点で既に政局はかなり傾いていた。由璋は根は真面目なので直向きに勤めを果たそうとしており、民からの人気はそこそこあった。しかし、城の陽の当たらない場所は、常に血で汚れていた。家臣の謀反がトリガーとなり、王朝は滅びる。

 

 

王が死ぬほど悔やんだ由璋の自死は、王が彼の「僕のものになれ」という要求を呑んでいたとしても起こった、時代の流れだった。彼は罪を犯しすぎた。じわじわと自滅の道を歩んでいた。ふたりがもっと早くに出逢えていたら、きっと違った結末になっていただろう。誰も出逢いの刻を選ぶことはできない。

 

 

王は誰の手も離したくなかった。由璋の手も。妃や銀果、百華の手も。寿眉の手も。それでも、長い記憶を旅する間、とうに肉体が滅びた誰かを想うだけでは立っていられなかった。茉莉花と龍珠も、離したくなかった手だといつか思い返すのは、もう嫌だろうな。

 

 

由璋には皇后と側室2人がいたけど、務めの一環だし、誰にも心を許してなかった。一方の王は、フラフラしすぎて周りが目付役として姉さん女房宛がったばかりで、奥さんのことちょっと苦手だった時期。王と由璋が共に過ごした時間は短かったけど、それはお互い誰とのものより濃い繋がりだった。

 

 

由璋を失った悲しみ、救えなかった罪悪感を根気強く癒したのが奥さんだったから、王はそれ以来奥さんのこと、拝むような気持ちで愛した。

 

 

王が紅衣に憑いた思念が誰のものなのかわからないのは、由璋のことを思い出せないから。

 

 

由璋と百華は絶対に相容れない。最初から最後まで、特に由璋にとって百華はほんと気に食わない奴だった(王との信頼関係が憎たらしい)。でも、由璋の亡骸を王のために整えたのは百華で、私はこのふたりのそういう関係にひっそり悶えていたりする。

由璋と百華、本当はもっと絡んで欲しいんだけど、馴れ合って欲しくない気持ちのほうが強いし、王の大事な人を大事にしない由璋は“由璋だな〜!”って感じで好き。

 

 

物語の中でお茶の存在を常に前面に出したいわけじゃなく、当たり前にそこにあったものとして描いているので、キャラクター達はサラッとしかお茶トークをしないのですが…王と由璋がお茶してる=ぜんぶ桂花烏龍茶という認識でOKってくらいには、象徴的に扱ってます。

 

 

「愛してる」の正しい意味を知っているのは、その言葉を発した者だけだと私は思う。憎しみを包んで「愛してる」と言える。目的の為に浅はかに「愛してる」と言える。「愛してる」と言えずに、絞り出すように小さく「好き」とも言える。そんな世界で辞書引いてもな…

CHAildの王と由璋は、重みで言ったら「愛してる」で違和感ないんだけど、あえて使わないようにしてる。私にとっては内包するものが多いイメージの言葉なので、王が言うと性的だし、由璋が言うと呪い感が強い。彼ら大人同士の「好き」には、それ以上を望めないような物悲しい響きがあると思った。