Twilog 由璋編(2)

由璋の背景、王の後ろに日輪を描いたから、月輪描いたら対っぽくて良いなぁと考えたけど、由璋には太陽も月もなくて、王が光なんだ…と思うと筆が進まず、真っ暗なままにした。

 

  

ゲーム的なステータスを考えてみた。クソゲーだ。由璋が王いないと害でしかなくて愛しい。

 

 

服すらひとりで着られないような身の上から罪人に堕とされ、そこから自分で何でもできるようになったけど、自分でやるわけにはいかない立場になってしまった。(しかし浴堂に呼ぶ女官は2人に減らしたらしい。)

 

 

王といる時はあまり出ない仕草なんだけど、由璋は嫌なことがあったりびっくりしたりすると、手を口元に遣る癖がある。これは咄嗟の防御体制で、元々は気に食わない人間に対しての鼻と口を覆って息止める完全拒絶ポーズ。吸う空気を選ばないと生き辛いお人。

 

親しくない相手とセックスした後で吐きそうになったり、食事があまり好きじゃなかったり(他人が作ったものだから/毒を盛られそうだから)、潔癖なところある。人間不信になってからが顕著で、他人の気配やにおいが好きじゃないんだろうなと思う。だからこの癖がある。

 

しかし、人を斬った時の血や臓物、その臭いは嫌がらないイメージがある。虫も手で潰すし。死に穢れを感じてない。返り血を浴びた衣装も、血を落とせるか訊く…綺麗になるならまた着る。倹約家なので。このへんのアンバランスさが由璋の狂気。

心底憎んでいた兄の遺品ですら使い回しそうなんだよな。総入れ替えすれば莫大な金が飛ぶし、誰が使おうと物はただの物でしかないから…と涼しい顔しながら、兄の衣を着て兄の杯を持ち、物の主を塗り替えることで彼(か)の存在を喰らおうとした?兄を殺せなかった不完全燃焼の心を慰めるため。

 

その「ただの物」に、由璋がなるんだけどなぁ…

 

 

衣食住のあらゆる面で他人に世話焼かれて暮らすのは、生まれてからずっとそうだからある種諦めてると言うか…だから拒否はしないけど、ボーッと身を任せることはできないし、予告なく面子が変わったりすると警戒するんだろうな。あと感情とは別に無駄が嫌いだから、不要だと思った役目はすぐ廃しそう。

 

 

青霞は美貌を武器に輿入れしているので、それが由璋に通用しなかった時点で心が折れちゃってる。そう育てられて来たがゆえに、自信を持てるものが他になかった。あとは他力本願。でも、夫に寄り添いたいって気持ちだけは最後まであって、死の恐怖とずっと闘っていた。

 

 

硬いからこそ割れる時は一瞬…これが、王が言う「硬いほうが脆い」そのものなんですよね。「脱力したほうが痛くない」という経験が、王のちょっとろくでもない人間性をつくってる。

 

 

1期の王は、由璋に出逢うまで人間とは距離を置いて暮らしていた。それは彼のとある過去に起因しており、銀果が人間と対話する役目を志した最大の理由がそこにある。

 

 

由璋が暦の編纂をしているという話を何度かしているけど、彼の死後何年も経ってから、それが新しい暦書として世に出てくる。王朝が滅びたことで由璋の名を冠することはなかったけど、銀果から「宗烈帝が作った暦だ」と知らされると、王は嬉しくて、麓の人間にそれをもらい、生涯大切にした。でも、時が流れて(3期)また改暦が起こると、由璋のことを忘れてしまった王は、そのボロボロの暦書を「古い暦だ」と指摘されてあっさり棄ててしまう。

 

 

王はいなくなってしまったひとたちの夢を何度も何度もみながら記憶を繋いでいるけど、由璋のことは忘れてしまったから…夢の中ですら200年近く逢えない。

 

王は夢で逢えるだけでも幸せだったりするんだろうか。心から消えてしまうくらいなら。

 

 

王が由璋と過ごした一年は、悠久の年月の中にあればほんの一瞬であり、誤差であった。歴史書の中には、由璋を29歳で病没と記すものさえある。本当は死んでいたはずの幻のような生命は、短く強烈に光り輝いて、全てを忘れてしまった王を尚も囚え続ける。

 

 

由璋が死ぬ時、ひとりで正山に移動できたのは、①王の体の一部(養洗で生み出される結晶)を食べたから ②王と一緒に槐をくぐったことがあり、それを槐が覚えていたから ③呪いを生み出すほどの王への想いが聞き届けられたから…と言える。由璋の心深く、血の深くに、確かに王がいた。

 

 

由璋が過去の投獄は無実の罪であったことを初めて話した相手は青霞だが、信じて欲しいと期待を抱くことはなかった。しかし即位後、自分を陥れた女(兄の乳母)を殺した時には、高揚のあまり感情を内に留めておけず、珍しく青霞と共有しようとした。その方法というのが、自分の後ろで一部始終を見ていた妻の服の裾で、剣に付いた血を拭う…という、全く伝わらない、青霞からしたら意味不明で怖すぎる血のお裾分け。抑揚のない声で「お前も嬉しいか?」と訊かれた奥さんは腰を抜かしそうになったという……日頃のコミュニケーションが足らないのにいきなりそんな局面で共感を求めてはいけません。

 

 

 

由璋は正室の青霞の他に側室が2人いるんだけど、時系列としては、當王時代に青霞との間に第一子が産まれてて、その直後に皇帝に即位、2年後に青霞が第二子妊娠…この妊娠→出産までの期間ってのは皇帝は奥さんに会えないので、そこで側室取らされたパターン。ほとんどその期間しか側室の相手してない。

事情を知らない者は「奥さん大好きなんだな」と思うけど、実際そういうわけでもない上に、城に住まう女達の直属の上司は青霞なので…他の妃(ひ)のもとに皇帝が渡らなくなったら「彼女のところへも行ってね?」とフォローを出さなきゃいけない…複雑な立場。

最終、側室のところへも奥さんのところへも渡らなくなり、子作りしろと求められれば無作為に選んだ宮女と寝て、堕胎薬飲ませる…という不毛なことをやってた。

「まだ生きて役目を果たさねば」「必要ない、もうすぐ全てが終わる(死ぬ)」という両極の狭間で葛藤していた。

 

 

炎の美しさに魅入られた心は、二度と来ない嵐を待ち続け、燠火のような心臓を抱きしめて今日もひとり眠る。亡魂でも良いと願っては、指先に触れた冷気に涙がこぼれ、それでも赤いまま、嵐を待ってる。

 

 

王にとって由璋のぬくもりは、指に落としたキスだけ。王にとっては。由璋には、じゃれ合ったり抱き合って眠ったりした、王の何もかもが強く熱かったかも知れない。でも王はそれじゃ足りなかった。

 

 

私、両想いの者同士をすれ違わせるの異常に好きだな。軋轢を食らう生き物なのか。

 

 

もし、由璋と青霞が脱出不可能な狭い密室に閉じ込められたら、由璋は「狼狽えるな。気が触れる前に殺してやる。」って青霞に言うんだろうな…と思った。夫なりの優しさ(奥さんには伝わらないやつ)。

一緒なのが王だった場合、由璋は「出られないということは、世界にはもう僕とお前しかいないということだ。王、僕のものになるか。」って王に言うし、王も「わかった」って返すと思う…って考えてたんですよ。このままで構わないエンド。居場所を突き止めた百華に密室の壁を破壊されて、由璋が(こいつやはり好かん…)と思うところまで想像しました。

 

 

晩年の百華は生き長らえることを拒んだ。見知らぬ他人を生かすためにずっと力を使って来た王は、一個人としてほんとうに救いたいひとのためにそれを与えることは叶わず、慟哭した。しかし、それが百華の“親心”で、彼の一個人としての我がままだった。

 

 

王が由璋をどうしようもなく好きだった理由のひとつに「求められる快感」があったように、王を偶像として手に入れたかった由璋にしろ、王者として生きねばならなかったふたりの、“個”としての欲望がそこにあった。「好き」を繰り返して繋いだだけの恋が、愛に成ろうと何百年も生き続けている。好き合ったすがたかたち心のままで、それができたら良かったけど。

 

 

「太陽を飲み込みたい鵺」という例え…最高…最高です……由璋だ。

 

 

銀果にはかつて、師と仰いだ老人がいて、彼が人間を好きなのはその人を深く尊敬していたから。銀果は王が皇帝と懇意になったことを案じながらも、人間を慕う気持ちやその儚さに最も理解を示していた。

 

 

 

由璋の兄の愚かな振る舞いの全ては、乳母への初恋を拗らせた結果だった。

由璋の腹違いの兄、孝深(こうしん)は、20歳年上の乳母への一途な恋を拗らせ、彼女の気を引く為に国財を使い、地位を与え、政を顧みず、稀代の暗愚と成り果てた皇帝。物欲に取り憑かれた女の傀儡。本来は温厚で、凡庸な人物。孝深に由璋を殺せと囁いたのも乳母だった。

恋の病的な力を知らない由璋は、皇帝になっても乳離れできない兄を到底理解できない阿呆だと思っていた。孝深の心を操って快楽を享受した乳母の醜悪さに、自分が即位した際、由璋は真っ先に彼女を殺した。

 

 

由璋と孝深は最初、二卵性の双子にする予定だった。私、血の繋がった兄弟とか双子とか大好きだから、双子にした場合「愛憎」を抱いて欲しくなっちゃうんだ…だからやめた。由璋の兄への感情は、純度の高い憎悪と殺意でないと。愛憎という対極が混ざり合った想いとなると、由璋にとってはある種この上ない…王に対する恋心(愛の呪い)に近いものになっちゃうからなぁ。

 

 

王がどれだけ皇帝に贔屓されてても誰の恨みも買わなかったのは、彼が皇帝の“鞘”たる存在だったからで、むしろ「早く城に住めよ…陛下をなだめてくれよ」くらいに思われていた(青霞にすら)。

それと、由璋が王にあげたのは大紅袍だけだったので、贔屓っていうのはほんとうに単純に「好意」だけだった。

 

 

重いと言うよりひたすらにデカい由璋の感情。重いのは王のほうだな。

 

 

目の前で苦しむ王を見て由璋が抱いた「美しい」って気持ちの正体は、突き詰めれば性欲で、自覚なし。王に対しては、殺したいって感情と混同してて、殺したいと殺されたいの境も曖昧なところありそう。結局、ひとりの人間としての感情という感情全部が王に向かってて、制御できていなかった。自覚に至る時って、王のこと心底愛した時なんだろうな。ふたりにはほんとうに時間が足りなかったな。

 

独占欲。自覚なき性衝動。手に入らぬ苛立ちと喪失の恐怖は交互に押し寄せる。同じ熱量を交換せずには息も吸えず、大きすぎて全容もわからぬ気持ちは、兄に抱いたそれを連想させる。由璋が名を知り得た最も大きな感情は、殺意だった。

不確かで稚い全ての想いを剥き出しにして「好きだ」と言った。好きで、好きすぎておかしくなりそうで、煩わしいから死んで欲しかった。この世で最も崇高な生命は失われていい筈がなく、でもその美しさが手に入らないなら殺してしまいたかった。命を賭した嘘をつかせたかった。偽りの愛は許せなかった。死を与えて欲しかった。共に生きてみたかった。

 

 

由璋が王に言う「莫迦(ばか)」は、漢字表記の時は“好き”が前提にある「ろくでもないな」「しょうがない奴」の意。ひらがな表記の時は、ただただ、愛おしさからの言葉。という使い分けをしてる。

王はそもそも「ばか」を、由璋に出逢うまでは使ったことがなかった。それが由璋からの愛の言葉であったことを王がわかっていたからこそ、王の「ばかやろう」にも同じ意味がある。

 

 

由璋は痩躯で体も丈夫じゃないし、おそらく王のほうが腕力も脚力もある。しかし彼は剣で人を斬れる。刀剣は腕力ではなく臍下丹田で振るもの…というイメージ。日本刀は軽い部類だよな…由璋が持ってるタイプの剣はもっと重いと思うんだが。体捌きとインナーマッスルで振ってるのか。

 

 

 

青霞の日記に出てきた“きたん”は、ブランド名である大紅袍(お茶)の、「ほんとうの名前」と言われているお茶…奇(不思議な/貴重な)丹(赤)って意味があるらしい。

 

 

妃は社交を拒んだ孤高のひと。それはある種の強さだけど、美しく在ることに拘ったのは、自分がそうしたいと言うよりも、稀有な存在として生まれた自覚が強く、それだけ他者からの目を常に気にして生きていた。それを断ち切ることができなかった。ずっと強がって生きてきたんだな〜と思う。

ありのままに振る舞うことで、生まれながらに自分に纏わりついている様々な価値をあえて壊し、それでも愛してくれる人を探した王は、まさに妃とは真逆だから…強すぎる光に苛立つのに、目をそらせない感じだったのかな。ふたりはお互いに大なり小なりそういう気持ちは持ってたと思う。

王も一応、とても美しくつくられた者という設定だけど、表情や仕草で時々そう見える、という…要は素行でそれを台無しにしている(特に1期)。妃さんは隙がなく常に美しいし、そうあるために本人が努力している。王との同居を拒んだ理由はここにもあるけど、長い夫婦生活で妃も少しずつ変わっていく。

 

 

王と由璋には「出逢わない幸せ」が確かにあって、だからふたりは脆い。でも彼らはそれぞれが、今際の際に「出逢えて良かった」と言い切る。(王は、由璋の命を救ったことが彼にとって幸せだったのかは、ずっと答えを出せずにいたけれど。)

 

 

自分を破壊した“皇帝”という業そのものを憎んだ由璋は、その責務を全うしようとする真面目な性根のすぐ裏に、厭世と破滅願望を飼っていた。皇帝にさえならなかったら、彼と青霞はもっと穏やかに良い関係を築いていけただろうと思う。

 

 

妃は記憶をリセットされた王の目の前で灰になった。遺された種を母樹の近くに埋め、彼は旅に出た。その種は今は美しい茶樹に育っており、王はいつかその樹と“再会”する。

 

 

阿芙蓉に溺れた母から、附子を喰わされた父から、脳をかすめた太刀傷を呉れた兄から…死の手触りを幾度も教えられた。誅殺を繰り返し、黄泉に魅入られていた由璋は、不老不死を求めた歴世の皇帝達とは違った危うさを持っていた。それでも不死の力を扱う王に惹かれ、一時は彼と生きることを夢見た。

 

 

由璋は猜疑心が強く、何をするにもいちいち周りに世話を焼かれたり、付いて回られたりするのを嫌がった。思考力を奪われているように感じ、乳母の傀儡だった兄を思い出した。言いがかりに近い叱責で遠ざけた下役が何人もいそうだが、伝統や慣例ということで止めさせられないものも多かっただろう。

 

 

由璋のもみあげは、私の作画では唯一無二の形。男性キャラのもみあげはだいたい手癖で王の形にしちゃうけど、王と由璋はできるだけ同じ描き方のパーツを避けたキャラデザにしている。お坊ちゃんぽさを追求した結果生まれた、由璋専用もみあげ…

 

 

由璋にとって王と一緒に眠ることは“擬似的な心中”で、凄く意味のあることだった。

 

由璋は、過去も今も未来もかかわりのない不変の安らぎを、王の中に感じようとしていたんだと思う。扉の外がどんな地獄でも、何もせず自分を見つめていて欲しかった。ふたりが道を同じくできないことは語り尽くして、それはもう変わらないから。

この穏やかな悟りを落とし所にできなかったのは、やっぱり由璋がどう転んでも由璋だからなんだけど。自分が王にとってただの通過点になるのは絶対嫌だったね。

 

 

王がアウトソールまで全面ビーズ刺繍された靴を履いてるのは、他者が彼の靴の裏を見上げるほどの高みにいる=王(おう)だから…という話は前に書いたけど、由璋はどうかと言うと、靴底の重い、歩く音が大きく響く靴を慣例で履いてそうだなと思った。皇帝の存在を知らしめる音。

 

 

王は自分に好意のない者に対しては凄く消極的だったので、王と妃に「新婚初夜」は存在しなかった。

「君は形式に嵌らないひとだろ、今更気を遣わなくていいよ。」とか言って王が逃げた。妃は皮肉られたとは思ったが、内心ホッとした。夫婦は手に触れることさえなくしばらくの時を過ごした。

 

 

王は由璋の愛が名叢の能力ありきで自分に向いていることに時々心を寂しくして、「力だけが欲しいの?」と訊いては、「お前の全部」と返される言葉に傷付いた。でもそれは、由璋より長い時を生きながらずっと向き合い続けて来た感情だった。由璋は、王の心も、姿も、好きだった。体に触れなかっただけ。

 

 

一期の王が性愛を求めるのは「力の容れ物として生まれた」という自己否定を癒したい心理もあり、名叢は少なからずこの問題に打ち当たる。妃は王とは真逆で、他者と深く関わらない事で自分を守って来た。王に「己を好きになって」と言われた時、その生き方が羨ましくてめちゃくちゃに腹が立った。

 

 

王の胸の傷は、妃の力ですぐに治してもらえたのに、彼自身がそれを拒み、縫った傷跡は生涯そこに在った。妃も説得はしなかった。「皇帝にはもう会えない」と言った王が、何を思ってそれを残そうとしているかわかったから。妃にとって、甘えたで軽薄な愛しか持たないと思っていた夫への見方が変わった瞬間だった。