Twilog 由璋編(3)

由璋は王以外の全て(自分も含む)が滅びればいいと思ってるくらいには何もかも嫌い。

 

それでも王は、由璋の好きなものをたくさん知っていた。同じように、青霞は由璋の嫌いなものを無数に知っていたはず。

 

 

由璋がもらった花を何かの気まぐれで気に入った場合、夜まで書斎に飾ったのち、花を全て切り落として捨ててから寝ると思う。好きな酒器も自分の手で叩き割るタイプなので。 だから王のことも何度も「殺す」と言っていた。

 

 

由璋が生母の記憶を思い出すのは単純に美しい話ではなく、それはかつて自身が否定して消し去った「優しかった大好きな母上」の姿。由璋にとって生母の評価は「子を顧みず阿芙蓉中毒で死んだ愚かな女」であり、人間の多面性の矛盾を彼は認めない。(自分こそ矛盾で心の中とっちらかってるのに)

 

「隠世/幽世(かくりよ)」は金木犀の花言葉のひとつ。この世とあの世を繋ぐ香り。

 

 

『金の茶湯に幽世の花』で、由璋に「二刻早く起こせ」と命じられていた月琴という人を描きましたが、彼は皇帝を起こす係の宦官です。1日=96刻という設定で一刻は15分。しかし由璋は日ごろ4時起きのため、3時半に起こせということになり…

 

山霊たちに細かい時辰は必要ないので、日が昇ったら朝ごはん食べて、お腹空いたらおやつ食べて、日没の頃に晩ごはん食べて…のような感覚暮らし。 王には銀果という限りなく人間に近い友がいたので、字が読めるし、1年の数え方と自分の年齢くらいは知っていた。

 

銀果は幼体期にかつて宮廷官吏だった祝老師にたいそう懐いて、人間を愛するようになり、塘報を読んでいたくらい世の中の動きに詳しかった。 王は由璋のそばにいながら“皇帝”のことをほとんど知らなかったけど、銀果は都で何が起きているか、この先どうなるか、だいたいわかっていた。

 

 

由璋の王に対する感情に名を付けるとすれば「恋」なんですよ。何の利もないのに命を救ってくれたから…というのも勿論あるけど、そのとき王が「生きたいなら助けるけど、どうしたい?(死にたいならどうぞ)」と由璋に訊いたことがいちばんの理由だった。

 

王の感情の通わない眼に射抜かれた。虫籠の中でいつの間にか事切れていた虫けらのように、自分も易々と死ぬことを許されているのだと、初めて思わせてくれた相手だった。 由璋が好きになったのは、自分に好意を向けない、冷たく美しい異形の者だったんだけど、蓋を開けてみたら想像と違ったという……

 

いつもの調子の王に由璋がちょっと塩対応なのはそういうわけなんだけど、半樹に戻った王を見ると「好きだ!上手く息ができない、もうお前を殺すしかない!(むしろ僕を殺せ!)」ってとっちらかるくらいには恋してると言うか… 由璋のこういう感情が単純化して残ったのが大紅袍の思念。

 

最期に由璋が離れ難く思い浮かべたのは「いつもの王」だった。それはちょっと、愛に成りかけた恋だった。でも王に残されたのは“呪い”です。

 

 

由璋はどんな態度を取ろうと王に自分を「由璋」と呼ばせていることが最大の意思表示。ほんとうの名を教え、呼ぶことを許す、その意味は “私を支配しても構わない”

 

人名には字(あざな)と諱(いみな)があり、避諱の慣習もある設定。字は呼び名、諱は実名。後者で呼ぶことは相手への支配を意味する。 由璋という名は諱。彼の字は宗烈という。 王はふたりきりのときだけ「由璋」と呼び、他人の前では「皇帝」と呼んでいた。

 

 

王と由璋がいっしょにいられたのはたった1年。死ねなくなった子供と、愛の怪物に成り果てた紅衣。それがふたりの真のはじまり。 CHAildは、由璋の残留思念を宿した真紅の布“大紅袍(ダーホンパオ)”によって不滅の命になってしまった王が、数百年をかけて自分と由璋の運命を受け入れていく物語です。

 

そこに広がる多くの愛や素晴らしい滋味が横糸だとすれば、縦糸として王の人生を貫いているのが由璋…誰よりも身勝手な、一瞬で砕け散った硬質で美しい命。

 

 

王の住む正山は湿潤な桃源郷なんだけど、由璋がいる都(司城)は気候が厳しく春は土埃がすごい。

 

 

王が誰に対しても繕わず、ありのままを曝け出していたのとは真逆で、妃さんは誰もが「美しい」と讃えたおのれのイメージを保持し、素顔を隠して暮らしていた。それは、自分を死神扱いした人間達を見返してやろうという怒りでもあった。強情なひとである。

 

 

由璋が右手にしている指輪がパーマネントジュエリーに該当するんだけど、私は枷として描いてるし、由璋にとってもそれ以外の意味はないという設定。

 

 

由璋に饅頭ひとつの恩がある子供が成長して宦官として宮廷入りし、王朝が滅亡するときに反乱軍の幹部に由璋の娘(阿藍)を庇護させ、自分は殉死。 月琴という名のキャラクターなんだけど、こいつは「血を断絶させたかった」由璋のことを何ひとつわかっていない。でも自分なりの恩返しをした。

 

 

阿藍は5歳のとき、父親の手によっておのれの命以外の全てを失った。斬られた首の傷痕は生涯残った。 父親の名は龔宗烈。 王が「由璋」と呼んだ人間である。

 

 

王と由璋はある種の転生とも捉えられるんだけど、決して望んだ形ではなく、互いに“別の何か”になってしまい、それを王がひとりで受け入れていく物語。

 

 

由璋は感情が壊れているように見えても、王よりよほど喜怒哀楽のわかりやすい顔する。

 

由璋はCHAildでは感情表現が豊かなほう(気性が荒いとも言う)で、演出でハイライトが入ることもある。 この手の黒目キャラを好む理由は、モリオンのような目に光が宿る瞬間を見たいから。

 

激情を露わにすることがほとんどない成体の王が、我を通すために声を荒げ泣き喚いたことがあるとしたら。百華が自分の前から去ることを選んだ時だと思う。離れていくひとを無様に引き止めたのは、王の人生でそれ一度きりだったのではないか。

 

 

青霞が期待した王の役割は鞘だから、由璋は剣ってことになる。しかしその実、剣ほど収まりは良くない。繊細で儚くてかんたんに壊れそうでも、触れる全てを傷付けるガラスの破片…くらい難儀。

 


由璋は王に今までの人生全てを慰撫されてしまうのが怖かった。それができる手だと知っていた。

王は再生に、由璋は破壊に、その命を使うとさだめた。自分が。そこには恋も愛も入れない。いまさら生き方を変えられない。

 

 

由璋ってウサギだな〜とずっと思ってた。存在のイメージが。顔もどことなく。

 

 

由璋は犬猫のような温かい動物が苦手。子供のころは闘蟋で遊び、虫には関心を示す。命を軽く見てもいる。その態度が王を怒らせたことも。それでも、来世は王の肩にとまる虫になりたいと願ったほど、その軽い魂に憧れていた。

 


由璋の次女・阿藍。彼女自身は10代後半で病没するが、王朝滅亡を生き延びて母親の遺品(日記)を引き取っていたことが、230年後の王に影響を与える。

 

 

由璋にその器量の良さを警戒されて殺されかけた過去がある青霞。

(由璋の奥さんかわいそうなエピソードしかなくてほんとごめん…でも、終わり方で物事を評価したがる由璋にとって、彼女は一番の忠臣になった。孤独な由璋が、共犯者に仕立てて最後まで運命を共にした相手。)

 

 

もっと早く貴方に出逢いたかった。たとえ遅すぎても、貴方に出逢えて良かった。

由璋、王に出逢って本来の死を覆されたこと、例え最期がああでも、幸せだったと思う。それを王に教えてやりたい。今ではもう覚えてすらいないわけだが。

 

 

王「笑顔が硬いな。顔をお湯につけてみるか?」

妃「いっそ笑わないほうが良いと思うわよ…」

銀果「あなたはそのままで可愛いですよ。大丈夫!」

百華「てめぇら好き勝手言うんじゃねーー!!」

 

 

王と由璋は擬似心中として添い寝をするんですけど、そこに厭世や悲愴、ひとり寝の苦悩を強調する意などを込めたいわけではなくて、私はただの優しい世界だと思ってます。

 

 

王と由璋は姿形を変えながら、喧嘩しながら、長い時をかけて一連托生の相棒になっていった。それがCHAildの縦糸だと思う。

 

 

力がなくても存在していいと許されたいっていう王の気持ちを真っ向から否定して王を傷付けながら、あまりにどデカい恋の矢印で王の胸をぶち抜いて満たしてしまう由璋。

 

 

由璋と青霞の交杯酒…不穏でいいなぁと思う。婚儀なのに不穏。見たい。

 

 

由璋が日々飲んでる薬を煎じてるのは青霞で、由璋は“いつもの薬”は奥さんが用意したと認識できないものは絶対に飲まない。王が「それは信頼だ」と言うと、由璋は「違う」と返した。

「奥(妻)は僕の死を願っているが、恐れてもいる。僕の死は自分の死だとわかっているからだ。あれは僕を殺せない…怒らせることもできない。臆病な臣なのだ。奥が煎じた薬ならば、毒など入っているわけがないのさ。」

 

 

由璋は先帝(兄)が放置していた反乱軍の北上を食い止めるために親征したことがある。23歳くらいかな。

 

 

光を呑み込みたくて近付くほどに灼かれる闇。闇を照らしたいだけなのに炙ってしまい、その炎に望んで巻き込まれる光。私なりに言語化すると、由璋と王はこうかな。

「照らしたい」と言うと違うのかな…王は由璋に自ら光って欲しかった。由璋の奥深いところにある光を信じていた。例え光らなくたって好きだけど、ふたりが同じ時を生きていくにはそれが必要だったから。善悪なんて関係ない、王の欲望。

 

 

王と由璋の振れ幅描くの好きです。あとあんまり食い違うふたりばかりを描いてると私がショック受けるので、真逆な場面を割と同時期に描いてるなとは思います。

 

 

王が「由璋は他に誰を何人殺していようと絶対に己だけは殺さない」と思っていたのも信頼だったけど、胸に刃を突き立てられてもその態度を崩さない王を見た由璋は、王は自分の最大の弱みで、思い通りにできない唯一の存在なのだと痛いほど実感して、屈辱だった。呪いたいほど好きだった。

王は由璋が心に魔を飼いながらも「自分だけを殺せない」ことを悦に思っていたから、きれいな信頼だけではないけどね。出自に反して決して聖者になれない王のろくでなしなところ、私は良いと思ってる。

 

 

好き同士の一方が敵に捕われるなどして命の危機にあって、もう一方が助けるためにやむなく怪我させたり、敵を欺くために敢えて傷付けたりしても、されたほうは信じ切っていて、ふたりの信頼関係がさらに高まるような場面って…良いよね……最高のラブシーン見てる気分になる。

好き同士とは違うけど、由璋は自分に殺意ある者が青霞を人質に取ったとしたら、青霞の急所から外れるように敵ごと斬る。そうされても青霞は「そういうひとだから」としか思わないし、ある意味揺らがない夫婦かもしれない。

 

 

たくさんの書物で知った花の色や宝石の形や眠れない夜のおまじないを、一瞬で否定してしまうような、現実の実感。それは積み上げてきた空想の美学を破壊する。香り、音、温度。王の存在は、由璋の人生を「無駄な刻」にした。そして、這ってたどり着いた今に意味を与えた。

 

 

由璋の「ばか」は愛の欠片です。本人は無自覚でも。王が由璋のいない百年後、二百年後に、「ばかやろう」を愛の言葉として使っていることが、答えなのです。

 

 

由璋が掌で叩き殺した虫の死骸を、王が自分の肌に当てて擦り潰して拭う…という描写をしたことがあるんですけど、あれも、けがれを抱きとめるという私のド性癖の応用なところがある。

 

 

1期の王が仮に、阿藍が生き残ったことを知っても、何もしなかった。心をとらわれもしなかったと思う。王には親も子もないから、“血”に希望を見出すことはない。王が生きて欲しいと願ったのは由璋だから。他の何が残っても意味はない。由璋が生前、王にもわかるほどに大切に慈しみ未来を案じていた子だったなら、話は別なんだけど…

 

王が人間に擬態できるのも、人間のそばで暮らしてきたのも、彼らに寄り添い、理解することを求められたから。しかし、こういう一面はやはり人外だなと思う。

 

 

相手のためにいかに犠牲を払えるか。危険を侵せるか。互いを縛る約束や秘匿を愛だと享受したり、させたり。初恋のままならなさに足掻いた由璋のような若気が、かつての王にもあった。王と由璋は出逢うのが遅すぎたけど、冥より先に由璋との関係があったら、それはほんとうに危うい。

 

 

1年前、大紅袍(王)は現れず、陛下があのまま病死していれば……。青霞はそんなことを思ってしまう自分が嫌だった。しかし、夫を喪えば世継ぎはおらず、自分と娘達には何の後ろ盾もない。夫が生きている恐ろしさ、夫が死んでしまう恐ろしさ、ふたつを天秤にかけて苦悩する日々。自分を楽に生きさせてくれる相手であること。青霞は由璋にそれを求めてしまう己に失望していたが、楽なほう楽なほうへと舵を切る弱さから脱却することもできなかった。

夫から死を賜ると抵抗せずに自害したのは、何もできなかったけど寄り添いたかったと…示したんだろうと思う。

 

 

由璋は真面目だけど、根は良い子かと問われると…そっちの回路はもう閉ざされている、といったところ。好きな人には優しく繊細な面を見せる。でも、他者が大切にしているものに対して鈍感で、無神経。それは王が相手であっても。その鈍感さが猜疑心に繋がるんだろうなと思う。どうしようもなくて可憐。

お坊ちゃまなので基本品が良く、本来ならば死んでいた病弱さ、そして成就しない初恋…可憐では?切り取りすぎかね。近しい人間を殺しまくる魔王ってとこも足しておくか。

 

 

王の目には純粋で我が儘な愛おしい子どもに映っても、由璋の酸いも甘いも知るその命は晩期で、いびつであれど成熟していて、何人(なんびと)も忽せにできぬ声で死を司る皇帝であった。由璋にとっての王は、老練でも理想主義の甘えん坊で、そこに年齢は関係なく、彼らは希釈度の違う生を生きていた。

 

 

由璋の傷って最初はもっと側頭に小さめに描いてたと記憶してるが、気が付いたらどんどん位置が上になっていったと言うか…彼が兄に斬られた場面を想像すると「避ける間もなく脳天を割られる」構図ばかり浮かぶもんだから、そうだったんだろうなと。こういう変化はもうインスピレーションでしかない。

 

 

随分前に書いて忘れてた下書き。

 

 

どう頑張っても王を賛美するだけになっちゃう陛下。

 

 

手指キス詰め合わせ。(右下の黄色い絵は王が由璋の死後に見た夢。)

 

 

もっと早く出逢いたかった、もっと一緒にいたかったという気持ちが呪いの根幹ならば、王と由璋の人生をやり直させてまた出逢わせ、片割れが死ぬ度に何度も時を戻し、理想の出逢いが訪れて未来が変わるまでそれを繰り返すっていうパターンでも良いはずなんだけど、それだと王の願いが主体だなと思った。

由璋は王のこと大好きだけど、自分はもう自分としては生まれて来たくなかった。山の王(おう)に慈しまれる自我のない虫けらに憧れ、王の記憶の中に生き続けることを望んだ。だから、王だけが現世に取り残されるっていう罰みたいな愛になってしまったんだけど…。同じ気持ちで願っても違う形になる。

由璋は虫ではなく、残留思念だけを宿した一枚の布になってしまったわけだが、自分(人間の由璋)ではない別の存在としてずっと王のそばにいるっていうのは念願叶ったりだと思う。

叶ったと知る術もない願いを抱く…王の記憶に刻まれればそれでいい。